ペットとの別れに際して想うこと

ペットの話

先日、我が家の愛猫が他界しました。
実に20歳の大往生です。
無意識にいつも寝ていた場所に彼の姿を探しては
あぁ、もういないんだな。。と改めて認識するという感じで
やっぱり寂しさは感じるのですが、
それよりも寿命をしっかり生ききってくれた気がして
ある意味すがすがしい別れでさえありました。

ペット専門の業者さんに火葬をお願いしたので
先住猫と、今回の彼の遺灰の入った小さな木箱が2つ棚に並びました。
実は先住猫が旅立ったのは5年ほど前。
ちょうど我が家が、経済苦境の最底辺にいた頃でした。
当時は火葬の費用を捻出するのに精いっぱいだったので
スタンダードなプラスチックの箱に入った遺灰が戻ってきました。
今は、経済的にもある程度安定したので
遺灰は少しグレードアップした木の箱に入れてもらうことに。
そして先住猫君にも同じ箱を購入しました。

ペットの火葬サービスについてはまた機会がある時に
記事にしてみようかな、と思います。

今回の記事ではペットと暮らすということを
再度振り返って、愛猫たちが我が家にもたらしてくれたものに
思いを馳せる記事にしたいと思います。

我が家の家族として
長い間一緒に暮らしたペットたちがいなくなって
ある意味Empty Nest的な我が家。
20歳だった愛猫が長寿だったのはもちろん
先住猫も推定17歳での他界。
これまた私たちのそばで長い時間を過ごしてくれました。

私たちがまだ夫婦だけだったころから
家族としてずっと一緒に暮らしてきた猫たち。
私たちが苦しい時も、荒みがちだった気持ちを癒してくれたのがこの2匹。

愛嬌たっぷりに甘えてくるかと思うと
落ち込んでいる時はこっちの表情を見守るような雰囲気で
ずっと側に寄り添ってくれていました。
猫らしく、気ままに振舞うこともあったし
こっちが疲れた時には、彼らの体に顔をうずめて
リラックスさせてもらったりもしました。
もちろんいたずらをして私たちに怒られることも日常茶飯事でしたね。

子供たちが生まれてからは
猫たちにもどこか保護者然としているところもあって
幼児に撫でられたり抱えられたりしても
怒らずに堪えてくれていた感じがありました。
人間と暮らす動物たちって、忍耐強いんだな~と感心したものです。

そんな猫たちに対して子供達も、
家族としてそこにいるべき存在だと自然に感じていたようでした。
何よりも子供たちは猫たちと過ごす日常で
思いやりや愛情、信頼関係の作り方、生き物に対する責任感
を学んでくれていたように感じます。
そして何よりも、出会いと別れを身をもって体験して
命が有限であることを実感したことだと思います。

別れがつらいから生き物を飼いたくない
という意見も良く聞きますが、
それでも私は愛猫たちと過ごせた時間は
かけがえのない幸せな時間だったな、と感じています。

私自身、たくさんの猫たちに囲まれて暮らしてきましたし
動物病院で働いたり、レスキュー団体のボランティアをしたりと
公私ともに長年動物たちに関わってきましたが
その間もずっと私の中で譲れない考え方があります
”一度引き受けた動物は最後まで家族として面倒をみることが飼い主の責任”
昔も今もこの私の中の信念はかわらず
大人になってから自分で引き受けた2匹の猫たちを看取ってからは
より一層、飼い主の責任の重さ
ペットとの間の信頼関係、を感じるようになりました。

今後我が家に新たな動物との縁があるのかどうか
それは現時点ではわかりませんが、
ペットとの暮らしの贅沢さを教えてくれた彼らに
感謝が伝わっていればいいな、と思います。

うちの子たちに限らずに
人間との縁を持った動物たちが、幸せになれますように
と願いを込めて、今日の記事はここまで。

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