アメリカ留学までの成り行きについて

今日は何を書こうかな~と考えて、私が留学するまで、留学した頃の昔話でもしてみようかな、と思いました。
私たちの学生時代を振り返ると、まだまだ留学を志す学生が多い時代だったのかなと思います。
新型コロナのパンデミックが始まってからのここ数年は、当然留学生の人数も激減したように感じています。
そりゃあね。。
学校もオンライン授業がほとんどだった時期がありましたし、
渡航に対する規制も多かったし、そもそもパンデミックの状況だと、
国としても学校としても留学生の受け入れ態勢を整えるのも難しかったことは簡単に想像できます。
それは日本だってそうですよね。
コロナ渦での入国規制が多くの留学生の来日を不可能にした、という話も良く聞きます。
これは仕方がないこととはいえ、貴重な学生時代に留学という選択肢が立ち消えてしまった学生たちも多かれ少なかれいたんだろうな、と思うと複雑な気もします。

さて、今までにも何度か書いてきていますが、
私のアメリカ生活の始まりは留学でした。
中学生くらいの頃からでしょうか、アメリカに対してぼんやりとした憧れをもっていたんですね。
多分、テレビや映画で見るアメリカの景色がとても魅力的に見えたんでしょうね~。
ハリウッド映画も良く観ていたし、外国と言えばアメリカって時代でもあったのかな。。。
今でこそ、日本でも日本以外の血統を持つ子をよく見るようになりましたが
私の子供時代にはハーフの子はほとんどいませんでした(少なくとも私の育った地域では💦)。
だから、外国に行くと決断するのは大きな決断だったのです。
まあ、私の場合は留学を目指す学生が勉強する語学学校を経て留学したので
当然、周囲にいたのは留学を選んだ人間ばかり。
そんな環境にいると自分の選択がそれほど大それたものだったとは感じなかったのですが
一時帰国で地元に帰ると”留学なんてすごい!”と言われることが多かったですね。

ちなみに留学生あるある。。。。
”すごいね~留学なんて、英語ペラペラなんだね!”と言われて言葉に詰まる。。。💦
なんせ。。。語学センスゼロでしたから。。。
身振り手振りで何とか伝える、会話についていけなくて愛想笑いでやり過ごす
そんな時期がずーっと続きましたからね😓
未だに思うこと。。。私が大学を卒業できたのは教授の温情の賜物💦💦💦
慣れない英語で、なんとか食らいついてきているからその努力に免じて及第点をやろう
という教授の思いがあったに違いない😅
その頃の日本人留学生の特性に良く上げられる
読む、書くはまあまあ出来る、でも話し言葉は微妙、を地で言ってましたからね私。
授業中はほぼ喋らない、グループの話し合いではニコニコ笑顔でもっぱら聞き役、
でもレポートはきっちり出すタイプの生徒でした。
アメリカに来て一番に友達になったアメリカ人の友人によく言われる言葉は。。。
”出会った頃はジェスチャーゲームのようだったよね”と。
それを思うとね。。。よくも何十年も私と友達でいてくれたものです。。はい😅
ちなみに、この友人を含む学生時代のクラスメイト達。
小さい学部だったので授業もほぼ一緒、結束力も強くてよく一緒に行動していました。
この人たちがね~。。。
結構自由な感じで、授業の合間に近所のバーに連れて行かれて
ちょっぴりフワフワする頭でみんなで次の授業に出席する、なーんてこともやっていました。
若気の至りですね( ´艸`)
あ、もちろんちゃんと成人した後の話ですので、悪しからず~

そして渡米直後の学食では日本人学生が軒並みお腹を壊すという事態が。。。
日本の食生活に慣れている日本人学生は、
生で食べるブロッコリーとかにも慣れていなければ
サラダバーの衛生状態もチャレンジ項目だったんでしょうね😅

そんな感じで始まった私の留学生生活でしたが、この続きはまたの機会にしたいと思います~

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