アメリカでマスクについて考える

今朝、何となく読んでいた日本語の記事に、
正しいマスクの着用法についての記載があり、
図らずも、あらためてマスクをめぐる日常の変化を再認識する機会となりました。
というのも、新型コロナウイルスの感染がアメリカでも爆発的に広がってから
1年ちょっとの間に、マスクをすることが常識、もしくは義務となった経緯を体験したので、この変化はすごいよな~と思わずにはいられないからです。

新型コロナが発生する前、アメリカでマスクをしている人を見ることはほとんどありませんでした。
「そもそもマスクって何?」「したところで何の役に立つの?」と思っている人たちが大半だったんじゃないかと思います。
かくいう私も、長年アメリカで暮らしていた後に
日本人乗客の多い電車や飛行機の中で、マスクをしている人がずらーっと並んでいる光景を見ると異様に感じていました。。。💦

何年も昔の話ですが、
息子が小学校低学年の頃に風邪をひいて咳をしていたので
マスクをさせて学校に送り出したことがありました。
熱や他の症状が出ているわけではないので、学校を休ませるほどではない、
でも他の子供に移すリスクは下げたい、と思ったわけですが
アジア人のほとんどいない学校では、
マスクをした息子の姿が他の子供たちには奇妙に映ったらしく
担任の先生が、”マスクは思いやりの現れなんだよ”と話をしてくれる
という出来事がありました。
それほど認知度の薄いマスクだったのですが、
この一年での待遇の差は何でしょうか。。。(;^ω^)
まだコロナウイルスの脅威が残る現在では
公共の場でのマスクの着用は市民の義務とされています。
大抵のスーパーや公共施設、店舗などでは
マスク着用がなければ入れませんと入り口に大きく張り紙が出されています。

このマスクの義務化をめぐっては、
アメリカ人の中では反発も大きかったように感じます。
マスクの国で育った私としては、なんでそこまで。。。と思うほどの議論を呼んでいました(-_-;)
その背景を考えてみると、アメリカには強さに美学を見出す風潮が大きく、
強さは正義、強さの探求、といった考えを持つ人が少なくないと思うのです。
そんな人たちからすると、マスクをするというのは自分の弱さを提示するような感覚があったのかもしれません。
”マスクなんて軟弱者がするものだ!”みたいな信念でしょうか。。。
そしてその軟弱の象徴であるマスクをすることを強制される、となれば
プライドがゆるさない、と無意識に感じる人もいたのかな。。。
息子の先生が言ってくれたように”思いやりの現れ”として受け入れる人がもっと多ければ、ここまでの感染増にはならなかったのかな~なんて思ったりもします。
最近では”愛する人を守るためにマスクをしましょう”といったメッセージを見かけるようになったので、なんだかホッとしています。

さて、今朝の記事の内容は正しいマスクの取り扱い方。
記事の中では、コロナ感染症に関する対策を発表する多くの政治家でさえ
誤ったマスクの取り扱い方をしている、というものでした。
なになに。。?と思って読み進めると。。。
政治家の方が記者団に話す前にマスクを外す時、
耳からゴムを外すと同時に口元の布に手を添える人を多く見かけるとのこと。
そういえば、私も無意識にやっているかも~⁉
マスクはいわゆるフィルターの役割をしているのだから、
一番汚れている外側の表面に手で触れるなんてもってのほか、ということでした(-_-;)
ごもっともです。。。
そして、その外したマスクをポケットにしまったりその辺に置いたりというのも、
要注意(-_-;)
私も外してバッグに入れたり、棚に置いたりしてますね。。。💦

自分ではちゃんと感染症対策をしているつもりだったのですが
まるでできていないんだな、と猛省。
マスクの国( ´艸`)の私でさえ、これだけ注意不足なのであれば
嫌々着用しているアメリカ人の人たちなんかは
マスク着用の意味も激減じゃなかろうか、と思ってしまった訳です。
コロナ自粛も長期化するなかで、気持ちも緩んでしまっているな、
と実感してしまいました。
自分の無意識を見直して、気持ちを引き締めて万全の対策をしようと思います。

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