故人を偲ぶ

今日は久しぶりにかなりヘビーな話でもしようかな、と思います。
思いつくままに訥々と綴っていきたいと思います。
すでにまとめる気もさらさらない感じですが。。。。
読んでみようかな、と思う人に読んでいただければいいかな。。。と思っております。

日本ではお盆休みが終わった頃かな~、と思いますが、
お盆の時期には久しく日本に帰っていないので、季節感もなにもありません。
でも、何となくお盆を意識したことから、故人を偲ぶことに意識が向いたので、今日のお話となりました。
アラフォーともなると、それなりに人との出会いや別れを経験して、
中には近しい間柄の人との別れや死別も経験するようになりました。
何らかの事情があってお別れしたり、決別したりすることも寂しいことですが、そこには自分たちの意思が反映されていることが多くて、
でも死別となれば、それはもう私たちの力が及ぶことではなく、
それこそどうしようもないことですね。
どんなに願っても亡くなってしまった人との再会は望めないわけですし。。。
でも私は亡くなってしまった方が無になってしまう、とは思っていないので
いつか何かの形で再会することが叶えばいいな~、とは思うのです。

耳にした話では、新型コロナで大騒ぎだった去年は自殺者の数もかなり増加したのだとか。
小学生から高校生といった若い世代でも顕著な増加だったそうで、
本当に悲しいニュースだなと思います。
それこそ芸能界でも悲しいニュースが相次ぎましたね。
生きたくても事故や病気で生きることが叶わない人もいれば、
自分で命を絶ってしまうしか選択肢が無くなってしまうほど追い詰められてしまう人もいる。
私自身、そんな精神状態を経験したことがあるからこそ余計に、
どんな形であれ、人間の人生なんて儚いものだな、と思わずにはいられません。

実は私自身、遠くない過去に親しい友人との別れがありました。
生きたくても生きれなかった友人のことを思うと、やりきれない想いが湧いてきます。
時間が経ってもなんだか信じられないというか、ぴんと来ないというか。。
それこそよくある表現ですが、ぽっかりと穴が開いてしまったような、という表現がしっくりきてしまうのです。
でも言葉として表してしまったら、なんだか嘘くさくなってしまったり、そこで私たちの関係も完結してしまうような感覚があって、文章にするのも躊躇ってきました。

そんな状態をなんで文章にしてみようと思ったのか。
それは何らかの形で友人の足跡を残したい、という気持ちもあるような気がします。
友人のことを考えながら、Sekai no Owariの”tears”という曲を聞いていたら、なんだかストンと落ちてきた、という感じです。
腑に落ちたというか、納得したというか。。。
以前もチラッと匂わせたことがありますが、私、セカオワ好きなんですね。
で、割と最近リリースされたこの”tears”という曲は、ボーカルのFukase君が亡くなった友人のことを想って作った曲、という背景まで知っていました。
Fukase君が友人への想いをどう表現すればいいのかを悩みながら、何年もかけて作った曲らしいのですが、表現してしまうことで終わってしまうんじゃないか、という葛藤もあったのだとか。
でも、実際にリリースされた曲を聞いて、作品として形作った中にそのお友達の生きた証があるんだな~、と思いました。
まあ、私がこうして文章に書くことには大きな力があるわけでもなく、
友人の生きた証を残そうなんて大きな願いがあるわけでもないのですが、
友人と過ごした時間があって、今こうした文章を書いている自分がいる、と振り返ってみたくなったわけです。

そしてこの”tears”、涙って意味なのにすごく曲調が明るいんですね。
別れの寂しさとは対極にあるような曲調で、
君と出会えたことが嬉しい、そして嬉しいことがこんなにも悲しいという歌詞がつけられています。
歌詞の中でtearsと韻を踏んで繰り返し出てくる”cheers”は英語で乾杯の意味ですしね。
君に出会えたことに乾杯!といったメッセージを感じずにはいられません。
そして、この姿勢がまさに私が友人に向けて送りたかった気持ちだな、と思ったのです。
故人を偲ぶには色んな形があると思うのですが、
私は別れの寂しさ悲しさ以上に、一緒に過ごした時間への感謝、嬉しさを忘れずにいたいな、と思うのです。
それは友人だけではなく、生前私に関わってくださった色んな方に対して、そうありたい、と思います。

ちなみにTearsはこんな曲です↓

SEKAI NO OWARI「tears」

 

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